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子どもは言っても解らないから、悪いことをしたら叩いて体で覚えさせたほうがいいとおじいちゃんは言います。やっぱり、しつけって大事ですよね。叩くって抵抗があるけど。
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「しつけ」は「押し付け」ではないのですね。
お母さんが抵抗を感じるのはどうしてかな。その感覚が、私はとっても大事だと思います。
どんなとき、叩くのでしょうか。
小さい子どもほど、いろいろな場面で、どうすればいいか、学んでいるとき。「おやつが欲しい!」って泣き叫んだら、お母さんが根負けしてくれた。何回もそれを繰り返すと、「要求を通すには泣けばいいんだ」と学んでゆくことは、別の項でも話しました。
どんなにお母さんが怒っても、そんなことはへのカッパ、「泣くことと要求が通った」ことが学習されます。
「我慢したらおやつが出てきた!うれしい。こうすればいいんだ」と、見通しを持ってがんばる力は、大人の付き合い方で学んでゆくのですね。
だから、「どのように暮らしてゆくのか」のルールを教えてあげる内容が、「しかる」ことかも。怒ることと区別しなくてはいけないと思います。しかることは、怒鳴ったり、叩いたりすることではなく、「教えてあげること」です。
つまり、おもちゃを片づけない、のろまで着替えが遅い、などは、それは「怒る」ことではないのです。子どもの当たり前の状態。
人にいけない迷惑をかけたり(迷惑全部がいけなくはないですよね。迷惑をかけながら共同して生きている面もあるし)、意地悪したり、悪さをしたときは、しかってください。
でも、叩くのはどうかな。
「叩かれたからやめる」では、「叩かれなかったらいい」ということを学ぶことになります。ものを考えない子になってしまうかな。危険性はありますね。
幼い子は理屈をいっても始まりません。理解する力はまだ未熟ですから、長々の説教は逆効果。まずは、おっかない顔で「いけない!」って一言、言えばいいのです。真剣に。しつこくしてはいけません。
「あ、お母さんが悲しがっている。」と感じることが大事ですね。人間は心で動くのだから。
しかっているのか、どうなのか、あいまいな態度はいけません。
そして2歳3歳も過ぎれば年齢にあったお話をちょっとするのです。「・・・ちゃんは悲しかったよね。」とか。「テーブルはご飯を食べるところ。足で踏みつけないで。登ったりしたら悲しいよ」」とか。
私は3人の娘を育てました。子どもを叩いたのは一度だけ、長女が思春期のころでした。あまりの反抗に思わず手が出ました。私の子育てでたった一度のことです。
でも、あの時の娘の冷たい、きびしい目つきが、今でも思い出されます。娘は、物干しで一人で泣いていました。
叩くことでは信頼を得ることはできないと実感して、深く反省し、こどものこころを解ろうと思ったときでした。今でも、私のトラウマになっているのですよ。
年齢が小さくても、その基本は同じだと思います。叩かれて、気持ちよく、「がんばろう!」と思う人がいるでしょうか。幼い子ならなおさら。
だから、お母さんの感覚の鋭さ、大切にしましょう。こどもを守るために。
でも、生身の人間、かっとなって手が出ることはあるでしょう。そのときはちゃんと謝って、「おとしまえ」をつけてください。
そうそう、児童心理学が発達するまえは、子どもは大人を小さくしたものとの考えで、「発達しつつある存在」とに認識が弱かった。そんな時代、ヨーロッパでは、悪いことをするのは子どもの中に悪魔が居るのだと考えられ、追い出すためにムチで子どもを打ちました。
何処のうちにもムチがあったのだって。